八丈島の「人捨穴」とは?

人捨穴は八丈島・伊郷名にある
「人捨穴」は、八丈島の中部にある伊郷名(いごうな)という地域に残る洞窟です。道路沿いには「人捨穴」と書かれた案内板があり、そこから少し進むと洞窟があります。入口には地蔵が祀られ、飲み物なども供えられていました。
名前からして少し物々しい場所ですが、ここには八丈島に伝わる民話が残されています。
「50歳になったら親を捨てる」という民話
八丈町公式サイトの民話によると、かつて八丈島では50歳になった親を人捨穴に捨てていたとされます。
ところが、ある親子の話をきっかけに、年老いた人にも豊富な知恵があることが分かり、次第に親を捨てる風習はなくなった――というのが、この民話の内容です。
単なる「老人を捨てていた」という恐ろしい話ではなく、「老人にも価値があることに気づき、人を捨てなくなった」という教訓を含んだ民話になっています。
実際に人捨穴を訪れてみた
道路沿いに突然現れる「人捨穴」の看板

車で道を走っていると、突然「人捨穴」と書かれた案内板が現れます。
事前に何も知らずにこの看板を見たら、かなり不気味に感じるのではないでしょうか。今回は土地や八丈島の人々に敬意を払いながら、案内に従って人捨穴へ向かいました。
人捨穴まで歩いてみる
車を停め、案内に沿って進みます。私が訪れたのは午前中でしたが、周囲に観光客や地域の方は誰もいませんでした。
静かな場所なので、少し独特の緊張感があります。
人捨穴の前には地蔵と供え物があった
人捨穴の前には地蔵が祀られており、飲み物なども供えられていました。
単なる観光スポットというより、今もこの場所を大切にしている人がいるのだと感じます。
中を覗いてみると、先の見えない暗い穴があった
少し中を覗いてみると、奥が見えないほど暗い横穴が続いていました。
事前に「かつては10メートル以上の深さがあった」という情報を知っていたため、実際に見るとかなり印象に残ります。現在の姿を見ながら、昔はどのような場所だったのだろうと気になりました。
そもそも、本当に人を捨てていたの?
ここまで読むと、「人捨穴という名前は分かったけれど、本当にここで人が捨てられていたの?」と気になると思います。
結論から言うと、実際に人を捨てていたことを裏付ける確実な史料は確認できません。一方で、そうした伝承が生まれても不思議ではない歴史的背景が八丈島にはありました。
「口減らしで老人を捨てた」という説
人捨穴には、飢饉などで食料が不足した際、口減らしのために50歳を越えた高齢者を捨てたという伝承があります。
これは、いわゆる「姥捨山」の伝説にも似ています。ただし、人捨穴の場合は「島のどこかに捨てた」という話ではなく、「人捨穴」という特定の場所がはっきりと伝えられている点が特徴です。
八丈島では実際に深刻な飢饉が起きていた
この伝承を考えるうえで無視できないのが、八丈島を繰り返し襲った飢饉です。
八丈町によると、明和3(1766)年から4年間にわたって飢饉が続き、中之郷村では733人もの餓死者が出て、生き残った人はわずか400人ほどだったとされています。
元禄14(1701)年にも大暴風によって作物が全滅し、約600人が餓死したと伝えられています。
つまり、「人を捨てる」という伝承自体の真偽は分からなくても、八丈島で食料不足による深刻な被害が実際に起きていたことは確かです。
実際に聞いた地元住民のお話
さらに、今回幸運にも地元の方からお話を伺うことができました。
その方によると、現在は道路などが整備されて当時とは地形も変わっていますが、人捨穴が使われていた頃は、人がたどり着ける道の一番奥にあたる場所だったため、この場所が選ばれたのだそうです。
ただし、これは地元に伝わる話であり、史料によって確認されてはいません。
それでも、「この辺りに捨てていた」という曖昧な伝承ではなく、「この場所に捨てていた」と具体的な地点まで伝わっていること、地元の方の間で現在も口伝として伝わっていること、民話で「50歳を越えた人」を捨てていたと、妙に具体的な数字まで伝わっていることを考えると、私は人捨穴で実際に人が捨てられていた可能性は十分にあるのではないかと感じました。
「人捨穴」は人を捨てる場所ではなく、風葬の跡なのか
風葬・洞窟葬墓という説
人捨穴には、老人を捨てた場所ではなく、古い風葬や洞窟葬墓の跡ではないかという説もあります。
実際、八丈島の伊郷名周辺について、洞窟葬墓や崖葬墓の存在を記録した研究資料もあります。
「人捨穴=姥捨て」という民話だけでは、この場所の本来の用途は分からないのです。
幕末に漂着した外国人の遺体を埋めたという説も
ほかにも、幕末に八丈島へ漂着した欧米系捕鯨船員の遺体を埋葬した場所だという説があります。
ただし、これらはいずれも人捨穴の由来について伝えられている説の一つとして捉えておくのがよさそうです。
テレビで紹介された「人捨穴」
川口浩探検隊が「人捨穴」を紹介
実は人捨穴は、1980年2月13日に放送されたテレビ番組「水曜スペシャル・川口浩探検隊」でも取り上げられています。
当時の番組では、人捨穴がどのように紹介されたのか気になるところです。
人捨穴を訪れるなら、明るい時間がおすすめ
午前中に訪れてもかなり静かな場所だった
私は午前中に訪れましたが、他の観光客や地域の方は誰もいませんでした。
実際に訪れて感じたのは、次のような場所だということです。
- 周囲に人がほとんどいない
- 明かりが少ない
- とても静かで落ち着いた雰囲気
夜に訪れるのはおすすめしない
そのため、人捨穴を訪れるなら明るい時間帯がおすすめです。
特に夜は、
- 足元が見えにくくなる
- 洞窟周辺が危険
- 周囲に人がいない
- 万が一のときに対応しにくい
といった問題があります。
「怖そうだから夜に行ってみよう」と考えるのではなく、安全のためにも昼間に訪れましょう。
私が感じた「人捨穴」の3つの特徴
実際に訪れ、いろいろな資料や民話を調べてみると、人捨穴にはほかの観光スポットとは少し違う、独特の魅力があると感じました。
「人捨て」を伝える場所として残っていること
まず印象的なのは、「人を捨てた」という伝承が、具体的な場所とともに残っていることです。
私が調べた限りでは、「人捨穴」という名称で、こうした伝承と結びついている場所は確認できませんでした。
姥捨山のような伝説は各地にありますが、「ここで人を捨てていた」と具体的な場所が伝えられていることに、人捨穴ならではの特徴を感じます。
「人を捨てた理由」ではなく「人を捨てなくなった理由」を語る民話
人捨穴の民話でもう一つ面白いのが、その結末です。
普通なら「なぜこの穴で人を捨てるようになったのか」という由来が語られそうですが、この民話は、
親を捨てる → 親の知恵に助けられる → 老人を捨てなくなる
という展開になっています。
恐ろしい名前から想像する話とは違い、最後には「年を取った人にも知恵や価値がある」という教訓が残るのです。
「人捨穴」という名前があまりにも直接的
そして、個人的に一番気になったのが、その名前です。
「人捨穴」って、普通もう少し憚らないか?
と思ってしまうほど、あまりにも率直な名前です。
もちろん、実際に人が捨てられていたとすれば衝撃的な出来事です。それにもかかわらず、そのまま「人捨穴」という名前が残っていることには、どこか開き直りのようなものさえ感じます。
しかし、八丈島の歴史を調べてみると、
- 飢饉
- 食料不足
- 人口問題
- 島という閉鎖的な環境
- 口減らしの伝承
といった背景がありました。
そう考えると、この率直すぎる名前が残ったこと自体が、「そうせざるを得ないほど厳しい状況が続いていた」ことを今に伝えているようにも感じます。
私は人捨穴を訪れてみて、単に「怖い場所」としてではなく、八丈島で暮らした人々の厳しい生活や、そこから生まれた民話を考えさせられる場所だと感じました。
人捨穴を訪れて感じたこと
実際に訪れてみて、まず感じたのは、思っていた以上に静かな場所だということでした。
目の前には暗い洞窟があり、その前には地蔵や供え物が残されています。ここでかつて人が捨てられていたという民話を知ったうえで訪れると、独特の重みを感じます。
八丈島では実際に深刻な飢饉が起きており、口減らしの伝承が生まれる背景もありました。さらに地元の方から、当時は人がたどり着ける道の一番奥だったため、この場所が選ばれたという話も伺いました。
風葬や洞窟葬墓だったという説もありますが、私は、この場所で実際に人が捨てられていたという伝承には、それなりの事実があったのではないかと感じています。
何より興味深いのは、それほど衝撃的な出来事が「人捨穴」という名前とともに、現在まで具体的な場所として残っていることです。
人捨穴は、単に「恐ろしい場所」というだけではありません。八丈島で暮らしてきた人々が経験した厳しい歴史や、死者を弔う文化、そしてその記憶が民話として受け継がれてきたことを考えさせられる場所でした。


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